読後感 その2

龍應台著「台湾海峡一九四九」(白水社刊)読了(原題「大江大海一九四九」)。
その読後感。

膨大な時間をかけ、多くの人々の声に耳を傾けて来た著者の誠実な姿勢が隅々に読み取ることが出来た。アジアのこの時代の歴史は横断的に見られることが少ないように思う中、同じ時間軸の中で起こっていたことを多くの視点から見せてくれる。

しばしば、大きな歴史の中で埋もれがちな個々のパーソナルヒストリーが、著者が言う「文学」という糸によってたぐり寄せられ、縒り合わされ、戦いによってごく普通の人々が飲み込まれて行かざるを得なかった、決して埋没することのない悲しみや絶望を著者の文章を通して今に伝えてくれているようだ。

また、同時にドイツという別の視点から比較そして振り返ることで、この荒波に飲まれた人々の人生が個々の体験という出来事で終わることなく、同時代に起こった多くの歴史の中では多くは語られることのなかった深い悲しみを思い起こさせてくれる。

さらに、あとがきに続く増訂版に寄せられた文章を読んでいると、原題の本書を読まれた人々が自分に繋がる上の世代の人、ことに親が乗り越えて来た厳しい時代を今さらながらに思い起こさせてくれた本であったことがしみじみと伝わって来る。そして著者に語ってくれた人々もまた、これから生きる人々への「愛の責任」を思ったから必死に語ったのだろう、著者が自分の息子に対して思ったように。

これから先、私もまたアジアを訪れた時には、眩しい太陽の光の下で優しい木陰を作ってくれる深い緑の中にも、半世紀以上前に同じ太陽の下でひたすら生きようとした人々、あるいはその願い叶わず命を落とした人たちの想いを深く感じるかもしれないと思った。そしてこのような数多くの人々の個々の歴史の上に、今の私たちは生きているのだということをしっかりと心に思うだろう。

読後感 その1

辛永清さん著「安閑園の食卓 私の台南物語 」を拝読。誕生された1933年から来日する1955年まで、台南で暮らした生活が食を中心に書かれている。中国人としてのアイデンティティがいかに育まれたかが食を通して読者に伝えられている。

食を通してどのようなことが時代を超えて伝えられるか、また家族や周囲の人々の在り方、人々が暮らし生きた様がある。外国人が知り得ない慣習やしきたりを観ることが出来る。生き生きとした文章から、そこに暮らす人たちの息づかいまでが聞こえそうだ。

歴史上での大きな出来事でなく、歴史の中にいる個人個人の記憶こそが本来もっと大切に扱い受け継がれるべきことなのかもしれないと思えて来る。文章から感じる幸福感とは裏腹なこともあったかもしれないが、それすら飲み込んでしまうような幸福感を感じた。

期待に胸を膨らませ、オーダーを

さすがに、この路地裏まで入って来ると平日は人通りは少ない。間口一間の店に入ると、ニコニコした若いお兄さんが「いらっしゃいませ〜」。
下調べをして来たので、目指すは「台湾唐揚げ」「ラージャン唐揚げ」「海老団子」「レモン愛玉」を頼む。
ちょっとナメてかかっていて作り置きがあるのかと思いきや、オーダーされてから揚げ始める。これはちょっと期待できるかなと。